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本土空襲と高松空襲!一般市民から見た第2次世界大戦

第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。

松山空襲 空襲に対する他地域の動向 第2節


松山空襲 空襲に対する他地域の動向 第2節

 

第1章のなぜ高松は人口のわりに人的被害が大きいという問は高松では疎開がなされていないからと言うのが答えである。そして、この答えをもっと確かなものにするために他地域を考察してみる。高松以外の地域でも疎開に関しては、積極的だったり、否定的だったりとさまざまである。

 

注目した都市は愛媛県の松山市である。県の中心都市で、高松と同じく4国の中心都市でもあり、市の規模もほぼ同じである。松山市は当時人口120091人で空襲による死者数が251人である。(資料2)の死亡率の順位では83位である。松山市は高松市と比べて人的被害が少ない。そして、「松山市史」の中に疎開に関する事柄をみつけた。

 

・「5月11日から、県の指令で花園町を西掘端まで避難・防空道路にするため建物疎開が開始された。(中略)松山上空に飛来した米軍機は、しばしば空襲予告ビラをまいた。此れに対して県と市は、老幼婦女・学童の疎開を勧告する程度しか、なす術がなかった。この時期、空襲の危機が迫った市街地を逃れて郊外に移り住む疎開家族が急増」

 

考察してみると、松山市史の中では、避難、防空道路のための建物疎開の事や市、県による住民に対して疎開勧告を行った記述、また、市街地を逃れて郊外に移り住む疎開家族が増えた事を記載している。

 

すなわち、県や市といった行政レベルで疎開に関する事柄を積極的におこなっていると言う事である。結果、県や市といった行政レベルでの疎開にかんする政策によって、人的被害を減らす事に成功している。高松とはまったく逆のパターンである。

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