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本土空襲と高松空襲!一般市民から見た第2次世界大戦

第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。

呉、下関、青森、空襲に対する他地域の動向 第2節



呉、下関、青森、空襲に対する他地域の動向 第2節

 

その他の都市に関する記述をまとめてみた。

 

・「呉―呉市街への焼夷攻撃をみるとき、日本軍政府の無策ぶりが被害を増大させたと思われる。退避方法を指導せず、もっぱら戦意昂揚をあおる態度が無用の犠牲を増大させた。」

 

・「下関―内務省は疎開についての告示を出した。下関市では(中略)任意疎開が行われ、ついで建物とその住民との強制疎開が執行された。」

 

・「青森―米軍が空襲予告ビラをまいていたため。避難・疎開した市民も多くいた。しかし、県知事がこれをとがめて配給物資停止の通告をだしたので、止むなく市内にもどった住民も空襲にあい、」

 

 

考察すると、呉市と青森市が疎開に関して否定的で下関市が疎開に対して積極的だと言える。

 

第1章の死亡率の順位を見てみると、呉市が30位、青森市が36位、下関市が92位である。

 

まとめる

 

・疎開に否定的な都市―高松23位、呉30位、青森36位

 

・疎開に賛成的な都市―松山83位、下関92位

 

以上の事を踏まえると、疎開に否定的な都市の死亡率が高くて、疎開に賛成的な都市の死亡率は低い事が分かる。

 

結果として、疎開に対する行政、議会レベルでの対策が人的被害に影響を与えると言う事である。疎開が人的被害を少なくするというのは当然の事だとは言えるが、ここで、分かる事は、当時の日本の国内では、人によって、空襲に関する考え方が違っていたと言う事である。

 

すなわち、日本では軍国主義教育の結果、空襲時には逃げずに国の教え通り火消しを行う。しかし、現実問題として空襲時の火消しはあまり意味がなく、逃げる事が1番被害を少なくする事である。この2つの考え方があり、国も軍国主義教育とは別に空襲に関しての疎開は国の施策としている。県の行政、議会でも従来の軍国主義教育と現実問題の疎開との2つの考え方があったという事である。

 

そして、軍事的、経済的に考えてもそれほど重要な都市のない香川県で疎開が全面的に禁止されていたと言うことは軍国主義教育に強く影響を受けていた人が県行政、議会の中枢にいたために疎開が禁止されていたと考える事ができる。

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