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本土空襲と高松空襲!一般市民から見た第2次世界大戦

第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。

戦時中の日本とは? 第二章のこれからの解説

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戦時中の日本とは? 第二章のこれからの解説


(高松空襲写真集より引用)

第2章 高松市民の空襲に対する危機感と他地域

戦時中の日本とは? 第2章のこれからの解説

第1節 予想された高松空襲

第2次世界大戦時、日本は戦争を遂行するために、国民を戦争にかりだすための政策がなされていた。

 

学校では教師の代わりに軍人が教壇に立つようになり、学校が軍隊化され、町では隣組の制度が中心となって、空襲時の火消しの練習がおこなわれていた。

 

また、本土決戦を想定して、東京が占領されても、各地方がそれぞれに反撃できるような体制作りもなされていた。

 

高松でも、本土決戦に備えた政策が施行され、比較的軍国主義教育が忠実に守られた都市であったようだ。

軍国主義教育を忠実に守っていたから悲劇が大きくなったのではと思われる。

 

この章ではそのあたりの事を検証して、第1章の答えとなる、なぜ高松市は人的被害が大きいのかを解き明かしていく。

 

次ぎに高松の空襲はある程度予想できた事を証明し、なぜ疎開などの適切な処置ができなかったのかを検証してみたい。

 
第2節

松山、呉、下関、青森、の空襲を考察して、地域的に空襲に対する対策の違いがある事を検証していく。

 

大戦末期の日本人達は、空襲に備えて、どの様な生活を送っていたのか、高松という町を中心に考察して、他地域と比べることにより、そこから、大戦末期の日本の様子が見えてくる。

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