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本土空襲と高松空襲!一般市民から見た第2次世界大戦

第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。

B29爆撃機の出撃数‐高松空襲‐

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B29爆撃機の出撃数‐高松空襲‐


(高松空襲写真集)

B29
爆撃機の出撃数‐高松空襲‐

 

高松空襲を行った敵機の数だが、米軍資料では出撃機数(128機)で実際に爆撃を行った機数は(116機)である。

 

これは、高松市市民文化センター平和記念室が提示する数とまったく同じである。しかし、高松空襲被災者の証言とは少し敵機の数に誤差がでてくる。証言を提示すると次ぎのようになる。

 

「(・岩瀬清幸 藤塚町)高松を襲ったB29は何と90機であった。」

 

「(・川田秀幸 栗林町)「高松市史年表」(昭和35年2月15日、高松市刊510貢)によると、(中略)B29爆撃機延べ90機

 

「(・中嶋貞夫 天神前)述べ約90機のB29によって空襲された。

 

以上のように高松空襲被災者の証言は約90機のB29と言う事でほぼ一致している。

 

だが、高松空襲体験者といえども、実際に自分の目で高松空襲に敵機が何機現れたのかを確認したとは考えにくい。空襲後になんらかの資料をもとに、約90機という数字をはじき出している事は確実である。事実、川田氏の証言は「高松市史年表」を参考にして証言している。

 

90機と116機という、26機の誤差は非常に大きいと考える事ができる。なぜ26機もの誤差がでるのか疑問となるが、米軍資料作戦任務の概要の中にその答えとなるものを見る事ができる。

 

86機のB29が目視により、30機がレーダにより爆撃

 

すなわち、目視で爆撃すると言う事は超低空飛行での爆撃である。これは、高松空襲の特徴の1つでもある超低空飛行のB29による爆撃の情報と一致している。

 

「(・諏訪美智子 内町)見上げると今にも屋根に接触するかと思うほど低く飛んでいた。」

 

「(・佐々木恒夫 今新町)だいぶ低空でB29が1機ずつ西宝山から現れて市内を飛び交っていた。」

 

低空の飛行で爆撃を行ったのが86機と言う事は、高松空襲を行った敵機の数約90とほぼ同じである。86なら4捨5入すると90なので、86を約90と誇張しているとしても問題はない。

 

そして、レーダによる爆撃と言う事は高度の高い所からの爆撃と言う事が考えられる。考察してみると「高松市史年表」や高松空襲被災者の証言はこのレーダによる高度の高い所からの30機の爆撃の存在を見落としている可能性が推測される。

 

見落とされた原因としては超低空の爆撃の恐怖やインパクトの強さや焼夷弾攻撃による火炎の煙、また、空襲による混乱などが原因として考える事ができる。

 

高松空襲戦災者の証言の中で低空の空爆と敵機90機と言う情報は全て一致しており、誰1人として、高度のレーダーによる爆撃や敵機116機の情報を提示している人は存在していない。

 

これらの事を考察してみると、90機という情報が間違いだとは断定できない。ただ、実際に高度からの3〇機のレーダによる爆撃が本当に行われていたのかどうかを確かめる事は完全には不可能である。

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