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本土空襲と高松空襲!一般市民から見た第2次世界大戦

第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。

1945年7月4日の高松の風



1945年7月4日の高松の風

 

高松空襲時の風について考察してみる。

 

「(・桂美智 丸亀町)私は空襲の時は風上に逃げるのがよい、ということを何かの本で読んだのを、とっさに思い出したので、父に西の方に逃げようと叫んだ。」

 

「(・藤野寅市 天神前)(勤務地 寿町)海岸線への爆撃も実に鮮烈を極めたが、猛火のために特有の旋風が起り、海からの風(北風)で爆弾が南方に押し流され、」

 

桂氏の証言では風上である西に逃げたと記述している。よって、西風が吹いていた事が分かる。また、この桂氏の証言は空襲が始まってすぐの時間帯での話である。そして、高松空襲では西に避難した人が圧倒的に多い事も西風が吹いていたという事の証明になる。なぜなら、風上に逃げるというのが空襲時の鉄則であったからで、西に逃げる人が多いと言う事は空襲時の鉄則から考えると、西から風が吹いていた。すなわち、西風が吹いていたと言う事である。

 

次ぎに藤野氏の証言は空襲中の風についての記述である。戦災場所が寿町であるなら海岸に近い場所である。科学的に考察しても、焼夷弾によって熱せられた空気は膨張して軽くなり上昇する。そして、北には瀬戸内海があるので空気が流れこんできて北風になる事は断言できる。

 

高松空襲時に高松では、海沿は北風が吹き、それ以外の場所では西風が吹いていた事が分かる。
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