第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。
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高松空襲 第三節のまとめ
これまでの事柄を踏まえて高松空襲についてまとめてみる。
・高松空襲の始まりの時間は7月4日の午前1時過ぎから2時の間である。石油をまいた時間を入れれば、7月3日の午後11過ぎである。
・高松空襲での最初の空爆は紫雲山のふもと付近である。
・B29の侵入は高松市の中心地の西側からである。
・B29は最初に高松市の中心地の回りから空爆している。
・B29はマリアナ基地から出発している。
・高松空襲が終わった時間は7月4日の午前5時ぐらいである。
・高松空襲を行った敵機(B29)の数は116機である。
・空爆には焼夷弾が主で、爆弾も併用している。
・米軍は空襲に先立ち石油をまいている。
・天候は晴れである。
・風は西風、空襲中、海岸線は強い北風。
・死者は不明者を入れて、1359人である。
・防空壕は病人、幼児が焼夷弾空襲の時に利用するものとされていた。
・防空壕はあまり役割をはたせなかった。
・防空壕に逃げた事が死因の原因となるケースが多い。
・高松市に戦闘機は配備されていたが戦闘機での迎撃はなし。
・高松の反撃は高射砲での迎撃のみ、B29に迎撃での被害なし。
・空襲の時、あらゆる方角に避難しているが、西に避難する人が多かった。
以上の様に高松空襲の具体的な内容が戦災者の証言や様々な資料によって解明されてきた。
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