第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。
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(現在の高松市)
第4章高松市の復興について
第1節終戦後の都市計画と現在の高松市
ここでは、市長と助役が考えた都市計画について考察して、現在の高松市が高松空襲後の都市計画に基づいて復興しているかを考察していく。また、新聞から復興の様子を考察してみる。
以下に記述しているのが、高松市の復興に関する助役と市長が考えた都市計画である。
・大西林次(助役)南亀井町 市長は今後吾の高松市の生きる道は思い切った立派な都市計画を樹つるに在るとして、私と協議の上、その結論として、市内の路面電車は絶対止めて、東西南北に真直なる道巾を布き、商店街、住宅街、学園、ならびに工場地帯と大別し、幹線は50メートル以上の道巾とすることなであった。
大西氏は市の助役であり、市長と共に高松市の復興について協議したようである。この中にでてくる事柄は現在の高松市の風景そのものである。
現在の高松市の中心地の様子は国道11号とよばれる大きな道路を中心として道路が碁盤の目のようになっている。そして、大きな商店街と区画整理された町並みである。幹線50メートル以上の道幅と言うのが現在の国道11号線をさしている。
大きな商店街を中心に碁盤の目のように道路が敷かれた町が現在の高松市の姿である。このように、大西氏と市長が考えた復興計画がそのままの形で実行されて、成功している事がわかる。
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