第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。
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高松の地図から見た高松空襲
略地図のように、高松の地理的な特徴は、北は瀬戸内海、西は山、北東には屋島、南には平野が広がる地形である。
地図で示した、高松城跡から南の栗林公園付近までが高松市の中心部になる。
地図を見ると分かるが、北には海があるので、空襲時に北に逃げるという選択肢はあまりなかった。
様々な説があるが、地図中の矢印が示が示すように、B29は西から進入をして、南に下り、北東に抜けていった。地図で見るとよく分かるが、高松市の中心部の周りを先に空襲して、逃げ道を塞ぐ形で空襲が行われている事が読み取れる。
中心地の周りを先に空襲するやり方は東京大空襲と同じ手法である。米軍の空襲はより効果をあげるために、市街地の周りを先に空襲して、住民の逃げ道を塞ぐ、その上で、じっくりと中心地を破壊するという実に残酷なやり方で行われている。
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