第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。
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(高松空襲写真集より引用)
本土空襲・資料の説明と研究方針・太平洋戦争編
大東亜戦争末期には米軍による本土空襲が本格化する。曖昧な部分が多い本土空襲の真実を出来る限り解明していこうと考えている、空襲については出来る限り第一資料に基づいてレポートしていきたい。
本土空襲の全国的な動向については、基本的に一部例外はあるが
「日本の空襲―十補巻、資料編」
の149貢~166貢を参照する。なぜなら空襲の日時などは資料によって違いがあり、また、
「日本の空襲―全巻」
であっても、巻やページによっても空襲の日時などがあいまいであるために、統一することした。
戦時中の資料は、資料によって違うものが多い。戦時下という状況では正確な情報を入手する事が困難だったと予想ができる。
空襲の様子については、空襲体験者の日記を中心に考察していく。
実際この時代、日本に住んでいた人達の生の声を研究に取り入れていきたいと考えている。個人が書くことなので、同じ事柄についての記述であっても、違いが生じてくる。そういう時は、何人ものデータサンプルを取って、統計的に研究を進めて、できるかぎり、実態に近い様子を解明できればと考えている。
歴史語句
大東亜戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。東、東南アジア一帯を欧米列強の支配から開放するための戦いと位置づける。戦中は大東亜戦争が一般的な名称であった。
太平洋戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。戦後、アメリカ側からの戦後教育で定着した語句。現在では太平洋戦争の名称が一般化している。
本土空襲・米軍のB29爆撃機による日本本土への空襲。主要都市のほとんどが壊滅的に破壊された。
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