第一資料に基づいて、アメリカ軍による高松空襲を独自の研究でレポートします。
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本土空襲‐高松空襲を中心として‐
これから記述していく記事の目次になります。参考にしてください。
最初に
参考資料と研究方針について
第1章 本土空襲の全貌を明らかにしていく
第1節 全国と中国、四国地方の空襲
第2節 全国の空襲死亡数と死亡率資料
全国の空襲死亡数と死亡率から分かること
第2章 高松市民の空襲に対する危機感と他地域
第1節 予想された高松空襲
第2節 空襲に対する他地域の動向
第3章 高松空襲中のことについて
第1節 高松空襲中の市民のとった行動
第2節 高松空襲の最初の空爆と米軍の進入路
第3節 高松空襲について
第4章 高松市の復興について
第1節 復興、都市計画と現在の高松市
終わりに
はじめてのブログです。本土空襲について詳しく研究した内容をわかりやすく伝えます。学生社会人必見
私自身、現在、高校で歴史の教員をしています。大学は法政大学の文学部史学科を卒業しており、卒論のテーマが太平洋戦争と高松空襲でした。
大東亜戦争末期、米軍による本土空襲が行われました。この空襲は非戦闘民をターゲットにした卑劣な国際法に違反した行為である。
卒論のテーマとしては、誰も研究していない分野が好ましく、地方のいち都市で行われた高松空襲を中心に研究して、そこから、本土空襲全体を検証していく壮大な卒論テーマであった。
その後、自分自身で研究し続けてきた事を踏まえて、誰が読んでも分かりやすく本土空襲のことを紹介していきたいと考えている。
先の大戦を知り、そこから、今後の日本を考えていく重要な資料にもなると思います。
歴史語句
大東亜戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。東、東南アジア一帯を欧米列強の支配から開放するための戦いと位置づける。戦中は大東亜戦争が一般的な名称であった。
太平洋戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。戦後、アメリカ側からの戦後教育で定着した語句。現在では太平洋戦争の名称が一般化している。
高松空襲・1945年7月4日、香川県の高松市を襲ったB29による無差別殺戮の空襲。高松の町は破壊された。
本土空襲・米軍のB29爆撃機による日本本土への空襲。主要都市のほとんどが壊滅的に破壊された。
(宣伝謀略ビラで読む、日中、太平洋戦争・引用)
(高松空襲写真集より引用)
本土空襲・資料の説明と研究方針・太平洋戦争編
大東亜戦争末期には米軍による本土空襲が本格化する。曖昧な部分が多い本土空襲の真実を出来る限り解明していこうと考えている、空襲については出来る限り第一資料に基づいてレポートしていきたい。
本土空襲の全国的な動向については、基本的に一部例外はあるが
「日本の空襲―十補巻、資料編」
の149貢~166貢を参照する。なぜなら空襲の日時などは資料によって違いがあり、また、
「日本の空襲―全巻」
であっても、巻やページによっても空襲の日時などがあいまいであるために、統一することした。
戦時中の資料は、資料によって違うものが多い。戦時下という状況では正確な情報を入手する事が困難だったと予想ができる。
空襲の様子については、空襲体験者の日記を中心に考察していく。
実際この時代、日本に住んでいた人達の生の声を研究に取り入れていきたいと考えている。個人が書くことなので、同じ事柄についての記述であっても、違いが生じてくる。そういう時は、何人ものデータサンプルを取って、統計的に研究を進めて、できるかぎり、実態に近い様子を解明できればと考えている。
歴史語句
大東亜戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。東、東南アジア一帯を欧米列強の支配から開放するための戦いと位置づける。戦中は大東亜戦争が一般的な名称であった。
太平洋戦争・1941年12月8日~1945年のポツダム宣言受諾までの日本とアメリカを中心とする連合国軍の戦い。戦後、アメリカ側からの戦後教育で定着した語句。現在では太平洋戦争の名称が一般化している。
本土空襲・米軍のB29爆撃機による日本本土への空襲。主要都市のほとんどが壊滅的に破壊された。
本土空襲を研究・参考文献について
本土空襲を研究する上で使用した参考文献を紹介する。
出来る限り、文章の中に参考文献を挙げる。これから書
く論文は以下の参考文献を参照して制作していることを最
初に記述しておく。
また、今後の研究で、参考文献の記述は増えていく予定
である。
参考文献
・これが「帝国日本」の戦争だ(2015年11月30日発行、和賀正樹、現代書館)
・高松空襲を記録する会(高松の空襲―手記編)(高松空襲を記録する会、一九七三七月四日)
・高松空襲を記録する会(高松の空襲―手記、資料編)(高松空襲を記録する会、一九七八年七月四日)
・高松市史編修室(高松市史年表)(高松市役所、昭和三十五年二月十五日)
・日本の空襲編集委員会「日本の空襲―七 中国・四国」(三省堂、二〇〇三年五月一〇日)
・日本の空襲編集委員会「日本の空襲―三東京」(三省堂、一九八〇年四月二〇日)
・日本の空襲編集委員会「日本の空襲―補巻 資料編」(三省堂、一九八一年十月二〇日)
・高松空襲戦災誌編集室「高松空襲戦災誌」(高松市役所、昭和五八年三月三一日)
・総理府統計局「昭和一九年人口調査集計結果摘要」(総理府統計局、昭和五二年三月)
・松山史史編集委員会「松山市史―第三巻」(松山市役所、平成七年五月一日)
・早乙女勝元、土岐島雄「母と子でみる 日本の空襲」(草の根出版会、1988年3月7日)
・(私の十五年戦争―「平和を祈る夕べ」証言)
http//www.skk.org/tokyo/data/9511sengo/0022.htm
・小山仁示「米軍資料日本空襲の全容マリアナ基地B29部隊」(東方出版、1995年四月二十五日)
・高松市文化センター平和記念室「高松空襲写真集」(高松市文化センター平和記念室、二〇〇五年七月四日)
・香川日々新聞
・高松市総務部情報システム課
(http://www.city.takamatsukagawa.jp/2514.html)
・高松商工会議所「高松住宅明細地図」(高松商工会議所、昭和八年十月一五日)
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